「ただいま」って言いたくなる
あの人の笑顔に出会ったら

「澤村船具店」澤村道子おかあさんの物語り

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「澤村船具店」
澤村道子おかあさんの物語り

往時の鞆を今に残す

時を留める一枚絵―
「澤村船具店」澤村道子の物語り

鞆の中心地をぷらぷら歩いていると、
蔀戸(しとみど)を大きく開け放った町家さんに出逢った。
ほぅと思わず息が漏れた。

ベンガラ塗りの出格子と柱、
それに本瓦葺きの屋根に四方を囲まれて、
その板戸を開け放った空間が、
額縁の中の絵に見えた。

昔ながらの船具が並ぶ、
瀟洒(しょうしゃ)な静物画。

時が、止まって見えた。

そんな静物画から、
ひょっこり顔を出してくる人がいた。
えがお。

―澤村のおかあさんだった。

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「澤村船具店」
澤村道子おかあさんの物語り

お気に入り?
やっぱこれじゃねえ

魅力的な「船具」の数々

澤村のおかあさんは、
ぼくを笑顔で招き入れてくれた。

静物画だと思っていた空間の中には、
人がたくさんいた。
観光客でにぎわっていた。

開放的な軒先と、おかあさんの人懐っこさが、
人を呼ぶのだ。

元禄年間創業、
三百年を超える歴史をもつ澤村船具店。

店内にはイカリなどを模したキーホルダーや、
船の絵柄が染め抜かれた手ぬぐい、
それに引札(江戸時代の宣伝広告)など、
お土産が並べられていた。

とても可愛らしくて、
つい手にとってしまう品々ばかり。

でも、よりぼくを惹きつけたのは、
もっと実用的な、まさに「船具」の数々だった。
ガラスのブイ、木製の舵、それに塗料など。

ぼくは澤村のおかあさんに、
「お気に入りはあるの?」と聞いてみた。

おかあさんは、う~んと少し考えた。
立派な棟木、海馬印の看板、時鐘……
お気に入りはたくさんあるのだろう。

「やっぱこれじゃねえ」

大きな木製の滑車だった。
綱も滑車部分も、とてもきれいな茶色をしていた。

お気に入り、うん、なっとく。

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「澤村船具店」
澤村道子おかあさんの物語り

鞆ってこんなとこじゃ いうのをね、
感じてくれたらいいな

先祖が残してくれた、お店の風景

ぼくはもう一度、お店の中を眺めてみた。
海馬印にコーパーペイント……。
初めて見たのに、どこか懐かしい品々ばかり。

「外からお店の中がよく眺められて、
つい中を覗いてみたくなりますね」

ぼくがそう言うと、

「これな、蔀帳(ブチョウ)いうてね」

と、おかあさんは教えてくれた。

「戸板を上に引き上げて、金具でとめて開け放ちます。
これ持ち上げるの大変でな、せめて戸板、
半分の大きさに出来たら楽じゃ思ったけど、
文化的にも鞆にとっても大切なものだから、
そんなことしたらいけんって言われて、あきらめました」

おかあさんはそう言って朗らかに笑った。

そして、その板戸の木目を目でなぞりながら、
静かに言葉を続けた。

「毎日、朝晩に開けて閉めるのは大変じゃけど、
鞆ってこんなとこじゃいうのをね、
前の通りを歩く人たちが、この店を眺めることで
感じてくれたらいいな、て思いながらやってるんよ。
先祖が残してくれた、お店の風景だから」

―鞆のため。
ぼくが惹きつけられたのは、
そういう、澤村のおかあさんの
気持ちに対してだったのかもしれない。

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「澤村船具店」
澤村道子おかあさんの物語り

ちいさな双子の
お雛様
それにまつわる
物語り

わたしの母親はね、すごかったあ

澤村船具店の入り口には、
ガラス張りのショーケースがあって、その中には、
お雛様が二対そろって飾られていた。
内裏雛と五人囃子があるばかりの二段飾り、
ちいさな双子のお雛様。
調度品もちいさくて、とても可愛らしい。

ぼくが鞆の浦を訪れたのは、ちょうど
「鞆・町並ひな祭り」が終わり、
町から雛壇が姿を消しつつある
三月の末の日のことだった。

そのお雛様は、ささやかに、
という形容がふさわしいくらいに、
奥ゆかしくショーケースの中に飾られていた。
絢爛ではないかもしれないけれど、
静かに気品をたたえていた。

お雛様のすぐ上に、ふたりの赤ちゃんが写った白黒写真があった。

「ひとりがわたし」

おかあさんはその写真を見ながら、ぼくにそう教えてくれた。

「双子だったの。で、韓国から引き上げてくるときに、
うちの母親な、お乳ふたり分も出ないから、
この乳母からもらってたの」

澤村のおかあさんはそう言って
写真を指差した。双子の脇にひとりの女性が写っていた。

「これ韓国の人。これよりもうちょっと後のことから、わたしちゃんと覚えとるよ」

「韓国?」と、ぼくは聞き直した。「韓国にいたの?」

「韓国の光州(クァンジュ)」

「光州?光州って言ったら、事件あったところ?」

「そうです。光州事件のあったとこ。金大中の、な。そうそう、あそこで生まれたん」

戦争が始まったのは昭和十六年十二月、
澤村のおかあさんが数えで六つのころのことだった。
韓国の土地で開戦を知り、その地で終戦を迎えた。
終戦のときは、国民学校三年生。十歳になっていた。

「戦争に負けてから帰ってきた。
家具やら何やら、ぜんぶ置いてきたっていうのに、
親はこういうもの(お雛様)だけはちゃんと持って帰ってきてた。
写真なんかでもノートの間に挟んでね、
四人の娘にそれぞれ残した。わたしの母親はね、すごかったあ」

物語ですよ、と澤村のおかあさんは付け加えた。
ぼくは改めてこのお雛様を眺めてみた。
豪華な段組のお雛様とはまた違った、
「よさ」を感じた。涼やかな心地がした。

「不思議でしょ、ありがと言うときにはね、
親はもうあっち行っててね、いない」

澤村のおかあさんは、からりと声を立てて、笑った。

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「澤村船具店」
澤村道子おかあさんの物語り

ここがわたしの
仕事場

珍しいものであふれる船具店の事務所

澤村のおかあさんは、
ぼくを奥にある事務所へと案内してくれた。

「どうぞどうぞ、おかけになって。
うちではコーヒーは入りませんので。
うちでは玄米茶です」

そう言って、おかあさんは笑った。
ぼくはソファーに腰を下ろした。

そして、おかあさんの淹れてくれた
玄米茶をすすりながら、ぐるりを見回した。

珍しいものがたくさんあった。
赤、黄、緑とさまざまな色のガラスが嵌(は)められた
ランタンのようなもの、ぼくには名前もわからないような
船具類、大阪商船会社(現在の商船三井)の代理店の
名前が記された年代物の一覧表、それに、
事務机の上にはパソコンまであった。

「ここがわたしの仕事場」

おかあさんは、いたずらっぽくそう言った。

「パソコンもするの?」ぼくは驚いて聞いた。

「パソコンはしないよ。
ただ商売上の欲で、いじってるだけ」

おかあさんは、マウスをたどたどしい手つきでつかみ、
人差し指と中指を使って、タタンとダブルクリックした。
表示されたのは、澤村船具店のホームページだった。

「こんなこともしとる」

鞆の浦の風景を一望するライブカメラの映像。
鞆港、弁天島、常夜燈も見える。

「医王寺からの眺め」と、おかあさんは言った。

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「澤村船具店」
澤村道子おかあさんの物語り

おかあさんの
古時計

家を、歴史を、たいせつにしているんだ

それから、おかあさんは「あとな」と
事務椅子から立ち上がると、
一段高い部屋に入っていった。
ぼくも靴を脱いで上げさせてもらう。

「この時計、明治十四年からうちにあってな、
今も動いてます」

ぼくはしげしげと、その柱時計を眺めた。
古い。とても、古い。

「修理しながらな。ここに修理に出した日、貼っとる」

おかあさんは背伸びして、
柱時計を外して見せようとしてくれた。
ぼくは手伝う。手に触れた柱時計からは
確かな「時」を感じる。

「ここな」と言って、おかあさんは、
時計の振り子の裏板に貼られた付箋を
ぼくに見せてくれた。

「こうして、いついつに修理に出したとか、
何でも記録にとっておく主義なんです、わたし」

家を、歴史を、たいせつにしているんだ。

それから、おかあさんと一緒にソファーの部屋に戻った。

「はい召し上がれ」

澤村のおかあさんはそう言って、お菓子をくれた。

「どうぞどうぞ。わたしは、今さっき、
三時にお昼ご飯食べた。することなんぼでもあるし、
楽しい仕事しよったら、ご飯忘れる(笑)」

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「澤村船具店」
澤村道子おかあさんの物語り

わたしね、人様に
恵まれとるんですよ
ほんとに、恵まれとる

鞆の受け皿、あったかい…

ぼくは事務所をもう一度ぐるりと見回してから、
改めておかあさんにたずねた。

「おかあさんが、ここの家を切り盛りしているんだね」

「主人が突然亡くなったからね」と、おかあさんは答えた。

「五年と二ヶ月ぐらい前じゃけど、それからね」

「おかあさん、お嫁に入ってきたんだよね」

「そうです。五十数年前、昭和三十四年。岡山県から」

「心細くはなかった?」

おかあさんは、いんやいんやと首を振った。

「そう思うじゃろ。ここに来たら、
たしかにわたしだけが他人じゃけどな、
ところが、鞆の受け皿には、
わたしを他人扱いするような、そんな人はおらんかった」

おかあさんは、懐かしそうに笑顔で続ける。

「ここにお嫁に来たときに、おじいちゃん、舅な、
主人の父親、いい人じゃったあ。美男子でなあ。
そんで、そのおじいちゃんが大事にしてくれて、
わたしが刺繍とか編み物とかしようとすると、
言いにくそうに言うんよ。

『あのなあ、商売人はなあ、
そういうことをしよったらなあ、店がおろそかになるんで』

て言うてね、それからはもう、なるべくしないようにした」

「お姑さんは?」

ぼくがそう尋ねると、おかあさんは
一枚の写真を持ってきてくれた。

「これ、おばあちゃん」

そこには可愛らしいおばあちゃんが写っていた。

「すごいよ、うちのお姑さんは!
一緒に写ってるの、これご近所のかかりつけのお医者さんです。
おばあちゃん、今、足腰立たんで、
仕方なく施設に入っとるんじゃけど、
このお医者さんが施設に行ってはね、
こうやって写真をツーショットで撮ってはね、
わたしに『きのう行ってきました』って持ってきてくださる。
ありがたい。すごいありがたい」

ぼくは、おばあちゃんはおいくつになるの、と聞いてみた。

「百二歳半。元気元気!わたしが訪ねていくとな、
『あんたそんな格好で来たん?』て言うんよ。
いじわるで言ってるんとちがうよ。
嫁に恥をかかせまいとして言ってくれとるんじゃなあ」

それから、澤村のおかあさんは少し間を空けて、こう言った。

「わたしね、人様に恵まれとるんですよ。
ほんとに恵まれとるんよ」

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「澤村船具店」
澤村道子おかあさんの物語り

だから、
鞆で一番贅沢なのは
わたしかなって

「鞆」と「旅人」のやさしい結び目

「主人が突然亡くなったじゃろ、
でも、涙は出ません。
まだ涙を流す暇がない」

澤村のおかあさんは、ゆっくりとそう言った。
ぼくは、「この家を守らなきゃいけないから?」と聞く。

「そうですそうです。でも、しんどくなんかないんよ、
これがわたしに与えられたことじゃき」

おかあさんは、そうしてまた、気持ちよく笑う。

「こうしてひとりでやってても、先祖のおかげもあるし、
メーカーの方もね、変わらず関わってくれて」

伝統を背負うというのは、
一体どれだけ大変なことなんだろう?
でも、澤村のおかあさんには、使命感はあっても、
悲壮感はないように見えた。少なくとも、
ぼくには、そんなふうに見えた。

おかあさんは言う。

「長女がな、主人の勤めの関係で岡山県行っとってな。
その長女の旦那さんがいいんですよ。
『おかあさん、もうちょっと辛抱しとって。
自分が定年になったら、船具店に興味があるから』
って言うてくれててな」

「それはうれしいね」と、ぼくもうれしくなって言葉を返す。

「その娘たち家族が、お盆やお正月にここに来る。
みんな、『ただいま』言うて帰ってきてくれる。
孫もみんな。ありがたい」

―ありがたい。

きれいな言葉だと思った。

「それにね」と、おかあさんは続ける。

「あなたのような旅人がおられる。
おばさんは本当にね、寂しいからおせっかい焼きしたい。
旅人が困ってたら、こっちから声掛けたりね、
『どっちに行かれたい?』とか、
つい口からそういうね。でも、みんな喜んでくださる」

「うん。鞆を歩く人は、みんなここを通るものね。
おかあさんみたいな人が話しかけてくれたら、
旅人は誰だってうれしいんじゃないかな」

「応じてくださる方々がいてくれるから、
すごくありがたい。こうやって旅人と
会話が出来るいうことはね、本当に贅沢なことです」

そして、おかあさんは、ちょっとはにかみながらも、
どこか誇らしげに、こう言った。

―だから、鞆で一番贅沢なのはわたしかなって。

ぼくは、おかあさんが心を開いてくれているからだよ、と思った。
ぼくこそ、おかあさんとこうしてお話が出来て、
うれしかったんだ。おかあさんのおかげで、
鞆の町とも、またひとつ仲良くなれたのだから。

「おかあさん、あと五十年はこの店先に立っていてよ」

「五十年なんていたら百なんぼになる!
でも、今は日日(にちにち)を元気で過ごすことが、
とりあえずかなと思ってるよ」

ぼくたちはそう言い合って、からからと声を立てて一緒に笑った。

東京に帰らなければいけない時間がきた。

ぼくは「それじゃあね」と言って、ソファーから腰を上げた。

すると、おかあさんは、ぼくが名前を覚えてほしくて
渡しておいた名刺を、おもむろに事務机の上に置いて、
裏面に日付を書いた。

大切そうに、書いた。 ―二〇一二年三月二十六日。

ぼくも、今日この日に、おかあさんと会えて、
ほんとうによかった。

ありがとう。また来るよ。

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